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Alakazam!

都心を少し離れた小さなこの部屋からアラサーの日常・好きなことを綴ります。インテリアやアイドルや海などなど。興味津々。

SMAPと青春と寂寥感

好きな歌がある。

都心を少し外れた 小さなこの部屋から
どんなに目を凝らせど 見えないことばかりだ

こんな詞で始まる歌だ。
2005年紅白の大トリで、決して上手くはない歌声で、30代前半のSMAPが歌っていた。アイドルらしからぬシリアスな反戦歌、「Triangle」である。紅白では今まで3回披露されている名曲だ。これはあの「世界に一つだけの花」と並ぶ回数でもある。

 

精悍な顔つきで 構えた銃は
他でもなく 僕らの心に突きつけられてる

そう、怯えるキミの手で

 

見えないことばかりではあるが、この世で起きていることは、小さなこの部屋にいる僕にもキミにも自分ゴトであると語り掛ける最後の一文。アイドルが紅白の大トリでなんとメッセージ性の強い歌詞を歌うのかと驚いた。アイドルとは愛や恋を歌っているものではないのか。まるでボブ・ディランジョン・レノンのようではないか。

私はSMAPの熱心なファンではないが、今でも好きなの曲の1つである。

 

 

 


来年、どうやらSMAP解散するらしい。

まさか、と世間を驚かせたニュースだが、何も覆らないまま時は過ぎ、タイムリミットまですでに2か月を切っている。


私は寂しい。


先にも述べたが私は熱心なSMAPファンではない。
彼らは一人一人が圧倒的な個性を確立しているから、もし解散したとしても、きっとこれからも見続けることができるだろう。

中居くんの軽妙な語り口も、
キムタクのキザで自然体でカッコいい姿も、
吾郎ちゃんのどこか毒のある魅惑的な演技も、
つよぽんの優しさに溢れた笑いも、
慎吾ちゃんのアーティスティックな才能も。

 

けれど、寂しい。
なんでだろうか。あの衝撃の1月から、私はとても寂しかった。

 


アイドルグループを見るとき、私たちは青春時代を疑似体験していると思う。


ステージの上で華やかに歌い踊るアイドル達は、まさに夢だ。
小さなリビングのテレビの前で、お手軽に感じられる夢の世界だ。

アイドルグループの終わりは解散・卒業が常で、ある程度の年齢を迎えたとき、華やかなステージを降り次の未来へ踏み出さなければならない。人生の限られた一瞬の夢の時間を、彼ら・彼女らは生きている。

 

そこに私たちは自分の青春を見ている。

それは夢を語り、友と生きることが許された輝かしい時代であり、それはいつか必ず終わると知っている時間である。

だから魅力的で、だから切ない。


限られた青春の儚さ。夢の脆さ。
さんまさんが27時間テレビで言っていた。夢は醒めてからが人生だと。
夢はいつか終わる。
仲間と集い、笑い、語り合った時間はいつか終わる。
別れの時間が訪れ、1人自分の足だけで歩きださねばならない。

 それが、解散であり、卒業だった。

 

でもSMAPは違った。


わずかな期間で解散する、それまでのアイドルグループの慣習を見事に打ち砕いて見せた。

5人で共に夢に足掻き続けながらも自立する姿がそこには在った。
美しく正しく年を重ね、若さゆえの輝きなど一笑に付すかのようにそこに在り続けた。

 

そう、在ったのだ。
SMAPはいつもそこに在って、私と共に生きていたではないか…。

 

それは学校で友人と共に歌った歌であり、
疲れ果てていても不意に笑みが零れたテレビであり、
週に1度ときめきや涙を運ぶストーリーであり、
日の丸を背負い戦うアスリート達の応援歌であり、
災害のとき、人々の背に手を添える姿であり。

 

きっと、みんな思い始めていたのだ。
人生の端々に彼らの息吹を感じながら、無意識に無責任に祈るように。
もしかして、このまま彼らの夢は一生続くのかもしれない。
そうであって欲しい、と。

 

解散騒動後、能動的にスマスマを見るようになって、驚いたことがある。

今でも震災への義援金の呼びかけをしていること。
使いまわしでも事足りる映像を、毎回取り直していること。

彼らには自分の役割を生きる強い意志があるのだ、と思った。
何もかもを「自分ゴト」として、立ち向かっている。


解散騒動後、過去の雑誌や番組、ライブ映像を見て驚いたことがある。

彼ら自身ががどれほどSMAPを愛しているかということ。
不仲と呼ばれる関係性が、実は深い愛とプロフェッショナルな精神で創り上げられたものであること。
SMAPは名字で、生きる意味で、帰る場所で、チームワークで…。

 


今、SMAP解散までの残りわずかな道のりを歩んでいる。


私はとても寂しい。
それは私の青春の終焉への道のりと同義だからである。


今日、「世界に一つだけの花」が歴代3位の売り上げに達したというニュースを見た。300万枚の花束を届けようという活動の成果である。微力ながら私も1枚購入した。
解散撤回」を望むファンがたくさんいて、そして、そんなことをして何になるんだと、辞めさせてあげればいいと騒ぐ者もいる。


だけどね、違うんだよ。
解散撤回」は、「彼らを是が非でもSMAPに縛り付けたい」とイコールではないと思うんだ。
むしろ、「本心に生きて」という、願いそのものだと思うんだ。

 

都心を少し外れた小さなこの部屋から
どんなに目を凝らせど、見えないことばかりだ。


彼らは何も語らない。
SMAP解散する」、そう事実を告げただけだ。
本心から解散を望んだのか、所謂理不尽な「大人の事情」が介在したのか、私たちは知ることができない。


見えないことばかりだ。


彼らは何も語らない。
SMAPは間違いなくビジネスプロジェクトである。
彼ら5人は表立つ存在だけれども、SMAPは彼らだけで出来ているわけではない。
SMAP解散
そこには関わった人の数だけの真実と真相があって、もはや絡み合った糸のように複雑に縺れ合い、語る言葉を持てないのかもしれない。


精悍な顔つきで 構えた銃は
他でもなく 僕らの心に突きつけられてる


今彼らの選んだ選択が、私たちに突き付けられている。
彼らの夢の終焉は、私たちの青春の終焉である。


彼らの歩んでいる道のりは、
全てを強い意志でもって「自分ゴト」として生きてきた彼らの歩む道のりは、
SMAPを誰よりも愛してきた彼らの歩む道のりは、
果たして彼らの本心で選び取られたものなのだろうか?


私の青春はとうの昔に終わりを告げ、その終わりは決して思い描いた通りではなかったが、それに代わる青春を見せ続けてくれたSMAPの5人。

虚飾に満ちたこんな世界でも、せめて、人々の青春を背負って生きる彼らくらいは、望むように生きていける世界であってほしいと祈っている。


「終わってもいいよ、"但し"、キミたちがそう望んでいるならば」


彼らは何も語らない。


だから、その祈りが届くようにと、「世界に一つだけの花」を手に取るのである。